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学校教育におけるバッハ

歴史事象あるいは音楽の父

 学校教育において、バッハはどちらかというと、音楽の人物ではなく歴史上の人物だ。学校では音楽の父として名前だけは教えるが、その作品を触れることは少ない。少ないのではなく敢えて遠ざけているような気もする。バッハの音楽を教えることは、教育として都合が悪いのではないだろうか。そんなことを思ったのである。

日本の学校教育の方針

 ポリフォニー音楽は、各パートがバラバラに動く。子供たちの管理統制に於いて都合が悪いに違いない。すくなくとも皆が同じ方向を見るという、全体主義の音楽ではないのだ。一つの問題に対して、複数の視点でものを見る、あるいはそれぞれに答えを探すという音楽なのだ。メロディーがあって、それに伴った伴奏でもり立てるという種類の音楽ではないのだ。
 日本の学校教育に於いては、従順と忍耐が力説される。バッハの音楽を満たしているのは従順と忍耐ではなく、機知を伴った研鑽である。皆で旋律を強く歌ったり、弱く歌ったりすることによる見せかけのハーモニーを狙うのではない。複数の旋律を同時に進行させ、音楽を高めあうことを狙っている。一つのメロディーによってのみ統制されるのではなく、複数のメロディーによって共存しハーモニーを形づくる。各パートはそれぞれ独立、お互いに高め合い共存しているのだ。なんとエレガントなことだろう。

 以上のようなことから、学校教育においてバッハは都合が悪いのに違いない。聊か極論であるが、いかがだろうか。ミッシェル・フーコー『監獄の誕生 監視と処罰』を読んでそんなことを考えてしまった。
(小宮和寛)
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