ざさいたま
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もの造りからもの創りへ

高品質と人件費の安さ

 日本はものづくりの国といわれる。戦後はものづくりのお陰で経済的な発展を遂げた。製品を低価格で造りだし、外国に輸出し自国の経済を回す。品質の高さと圧倒的な人件費の安さを武器にし、この国は発展した。極東の工場は先進諸国のそれと比肩するどころか、凌駕してしまい、メドイン・ジャパンの一時代を築いた。
 イギリス初の産業革命は、各国に伝播し日本にまで到達した。さらに、戦後には再到達を果たした。一度、産業革命あるいは高度成長を経験すると、人件費の安さは無くなってしまう。これまでの水準の賃金では労働者が動かなくなるからだ。いまや日本はそのお株である極東の工場を、近隣の中国、タイ等に奪われてしまった。

ものづくりとはなにか

 ここでものづくりの意味を考えてみたい。この漠然としたものづくりはどのような活動を指すのだろうか。ものをつくるわけであるから、材料を加工して付加価値があるものに変換することであろう。高級になものになると、芸術家等が作品を創り、それをものつぐりと称す。ものづくりはオブラートで包んだ言葉であり、大概の場合は前者を指す。つまるところ、製造業の事ではないだろうか。漢字で表記すると「もの造り」である。
 この物造りの目指す所は、高品質な製品の製造に帰着する。しかし、この高品質な製品の製造はもの造りに従事するものが到達可能な所で、人件費が安い国でも可能なのである。日本だけの専売特許ではない。日本人は手先が器用で優れているといわれているが、中国製の携帯電話、パソコン、カメラ等メドイン・ジャパンと区別できない水準まできている。製造工程を工夫する、従業員を教育1)して効率化を図る、等努力すればどこの企業でも行えることなのだ。
 事実このような取り組みは日本ではこれ以上出来ない所までされている。例えばキヤノン[7751]秩父工場では従業員の椅子を無くしたり、遅く歩くと警報ブザーが鳴るようにしたりするなど、行き過ぎとも感じられるようなことが行われている2)。しかし、基本的に高い水準にある賃金は、中国やタイの安い労働力を前にしては、もはや「もの造り」では太刀打ちできない。

もの創りを考える

 勤労者が芸術家のようにものを創ることは無理である。特別な才能があって芸術家に転向する者もいよう。しかし、全てが芸術家になれるわけではない。日本の産業を「もの造り」から「作品創り」にすることはできない。個別の作品で経済を動かすことは考え難い。
 ここで別の視点から考えてみよう。中国やタイになくて日本にあるものは何であろうか。私は教育水準の高さではないかと思う。均質に教育が行われる国は類がないと思う。「もの造り」には高い教育水準は必要がない。訓練された専門の労働力が必要だけである。設計さえできていれば、手順に従って機械を動かせば良い。必要であれば機械を増やしたり、人を増やしたりすればよい。
 創意に満ちた製品の開発は、訓練や人海戦術では実現できない。教育水準が高く、アイディアを出せる人材が必要となる。日本は教育水準に関して高い水準にある3)。問題はこの創意を常に意識している人材をどう醸成するかである。人件費が安い国ではまだ教育の普及は難しく、日本は優位な立場にある。
 高い教育水準を生かすことが出来るか出来ないかは、雇用者・労働者の双方にかかっている。日本のものづくりを「もの創り」へと昇華させることができるのか。ものづくりを巡って日本は極めて難しい立場に立たされている。
(小宮和寛)

注:
 1)調教ともいう。
 2)Nikkei BP ITpro「本当に「いす」がなかった、キヤノン電子のオフィス」、2009年5月18日、参照。経営者のモラルを疑う。廊下には「急ごう、さもないと会社も地球も滅びてしまう」とのメッセージが印象的である。
 3)これに関しては議論がある。
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