ざさいたま
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第二章 儀式の図面的解釈

はじめに

第一節 儀式書


第二節 御仏名

 御仏名は『仏名経』『三千仏名経』に依拠し、一万三千もしくは三千の仏の名号を唱え罪を懺悔・滅罪し、国家や安寧を祈願する仏教儀礼で古くは中国でも盛んに行われた。我が国では天長七年(八三〇)に宮中に於いて初めて行われたのが最初だとされている。宮中では国家や皇室の安寧を祈願する年中行事として定着し、十二月中の三日間吉日を選んで行われた。宮中だけではなく承和十三年(八四六)の勅によって国衙・太宰府、薬師寺・東寺・四天王寺等の寺院でも独自に行われるようになり多様化をみせる。ここでは平安中期以後から平安末期宮中において確立した御仏名の儀式次第を図面的に考察する。

統合した儀式次第

 三有職書を統合して内容の違いと儀式の様子がわかる表を作成した。表に書かれている部分はすべて書き下し文に改めた。〔 〕で囲まれている部分は割り注、空欄は該当記事が無いことを示している。原文は巻末資料参照。

統合した儀式次第 御仏名

場所・室礼

 延暦十一年(七九二)「内裏の上日」の宣旨によって、天皇の日常の政務の場が大極殿から内裏へ公的に移行した27)。平安初期には儀式の中心は内裏に移行しており、平安中期以後に至っては当初南殿で行われていた多くの儀式類も清凉殿に移行していた。御仏名も例外ではなく南殿等清凉殿以外でも執り行われたことが知られるが、前掲三有職書が編纂された時点では清凉殿で執り行われることが恒例になっていた。『雲図抄』によると室礼は御仏名のために清凉殿に礼盤を設け仏像を安置し、左右に一万三千仏の画像を配置し清凉殿を取り囲むようにして地獄屏風を立て礼盤の後方に曼荼羅を設置し、夜間行われる儀式のために灯籠を設け照明をとる等、仏教儀礼にふさわしい用意がされた。その様子を御簾越しに天皇や皇后が観覧した。 (御仏名)

期間

 儀式が執り行われる期間は『平安時代儀式年中行事辞』28)によると元来十二月の十五日から十七日に至る夜間であったが、後に仁寿三年(八五三)には十九日から二一日の三日間に改訂されたとしている。しかし、『江家次第』では二十三日より始まった例、『北山抄』巻二では「十九日御仏名の事、〔今日以後三ヶ日の間吉日を択びて初めて行なわる(後略)〕」等とあり日取りは多少の揺れがあったことがわかる。

儀式の構成員

 儀式書を読む上で重要なことはその構成だけでなくその儀式の構成員である。構成員を把握しておけば儀式の動きがより明確になる。同じ官職の人間が動く時には上﨟・下﨟の差があり、人数を把握していれば大体の検討が付くからである。
 有職書などでわかる部分を示すと構成員は以下のようになる。
 御導師 二〜三名(権御導師 一名)
 次第僧侶 二〜三名
 五位堂童子 二名
 六位堂童子 二名
 追犬使 八名
 五位蔵人 二名
 六位蔵人 二名
 非蔵人並びに殿上童 定員無し

儀式の構成

 統合した表から御仏名の構成をまとめると以下のようになる。
 一日目 A打鐘-B次第・C参入-D燈火-E法会-(F宴)-K僧侶退出-L名対面-N公卿退出
 二日目 A打鐘-B次第・C参入-D燈火-E法会-F宴-K僧侶退出-L名対面-N公卿退出
 三日目 A打鐘-B次第・C参入-D燈火-E法会-F宴-J被綿・H行香・I給禄-L名対面-K僧侶退出-N公卿退出
 A打鐘 開始を告げる鐘がなる。
 B次第 蔵人が僧侶に対し段取りを告げる。
 C参入 清凉殿に僧侶・公卿・衛府の官人等が参上する。
 D燈火 灯籠に火を入れる。
 E法会 仏名経が読み上げられ仏教儀礼が進行する。
 F宴 酒肴などが参列者にふるまわれる。
 G被綿 禄である綿が僧侶に渡される。
 H行香 参列者が起立し行香を行う。
 I給禄 禄が貴族たちに渡される。
 J名対面 参列者が自己の出欠を申告する。
 K退出 参列者が退出し儀式が終わる。
 括弧された項目は有職書のよって揺れがある項目である。

重要な要素

 統合した儀式次第表から重要な要素を抜き出すことにする。動作を追う上で特徴的な項目に関しては説明を加えた。

A打鐘

・亥一刻鐘を打つ

B次第・C参入

・蔵人御導師等を召す
 「陰明門より出で僧房の前に至るの時僧等永安門の檀下に列立す」陰明門から出るわけであるから図面の様に内裏から一度退出し垣根伝いに内裏の南西端にある僧坊に行き僧を召す。そして僧に儀式の次第を伝える。
・次出居の将着座
 『江家次第』には劔笏に関する記述はあるものの、着座の位置に関する記述は見つからない。『西宮記』『北山抄』も同様であり着座することより服飾の規定の方が重要であったと思われる。
・王卿参上
・名対面
 「出居微音にして問いて曰く、誰〔音猶御所に聞ゆ〕」という動作は三有職書それぞれに見いだすことができ当時の作法の一端を伺わせる。
・僧侶参上
 内裏外の南西端にある僧坊に行き「陰明門より出で僧房の前に至るの時僧等永安門の檀下に列立す」僧侶の参上は蔵人の動作の逆になる筈だが「殿上の口より入り神仙・右青璅門を経て着座」とあるように、純粋に逆の移動ではなさそうである。問題になるのは殿上の口の場所である。『故事類苑』『大内裏図考証』などによると無名門のことをさし、先ほどの逆の動作では無名門の前に神仙門を経ることになってしまい説明がつかない。無名門をはじめに経由すると永安門から内裏内の南庭を経由し無名門から入り、次に右青璅門を経由することになる。この場合神仙門を直接経由することはできない。考えられることとしては内裏の様子が今回作成した図面と相違していること、または神仙門の前を通り過ぎることである。平安時代に内裏の様子が大きく変化することはまずないため後者の神仙の前を通り過ぎることに思われる。つまり、僧侶が参上するときには全く違う経路を経て参上した。
・御導師以下着座
 参上した僧侶が北上西面に着座し次に従僧が着座する。

D燈火

・脂を指す事
 『西宮記』だけにみられる項目である。しかし、同じような項目が『江家次第』にも「燭を挑ぐ事」として見える。この部分に関しては後述したい。  法会が開始されるまで詳しく参入の様子を追うことができた。しかし、儀式にあまり関与しない上達部以下の殿上人や衛府の役人の動作は、はっきりしないことが多い。勿論、上達部以下の殿上人である蔵人は将来の上級貴族であるために、重要視されており大まかな動作を摑むことが可能である。図面を用いると摑みやすいのが僧侶の動きであった。文章だけでは見逃してしまいがちな僧侶の動きをどのような経路で参上するか検討することができた。以下に動きを示した図面を掲げたい。赤が蔵人、青が僧侶、紫が公卿である。移動を示す線の始点は○で示している。
(図参照)
 次に法会の次第を重要な項目を抜き出しながら追ってみたい。

E法会

・御導師礼盤に着す
・仏名十度許度
・堂童子花筥を取る
 堂童子が花筥を取り僧侶に配布する。『江家次第』に「庇の南の一間より入りて僧座の北頭の経机に就き跪く把を解きて出で花筥五枚を取り、下﨟に授け次に一枚を取り一の御導師に授け下﨟他僧に授く、畢りて上﨟複座す、次に下﨟僧座の前より花筥を引く、上﨟西を経て複座す」とあるように、堂童子の動きをかなり正確に摑むことができる。下﨟とは僧侶の下﨟か堂童子の下﨟か悩むところである。はじめの主語が堂童子であることを考えると堂童子の上﨟が経机に就いて封を外し花筥から五枚を取り、それを堂童子の下﨟に授けたあと堂童子の上﨟が一の御導師に授け堂童子の上﨟が複座し、次に堂童子の下﨟が僧座にいる僧侶に一枚ずつ授け複座したと解釈するのが自然だろう。
・五位以下火櫃を居う
・御導師 開白 仏名
・導師複座
・暁に御導師礼盤に就く
・半夜の法要
 半夜は二日目以後に加わると『北山抄』と『江家次第』にあるのみで具体的な法要の記述は見あたらない。
・礼仏・仏名・教悔
 御仏名の核心である仏教儀礼に関する記述があまりにも少ないことが特徴的である。『北山抄』では皆無であり、本来なら詳しい『江家次第』でさえ僧侶の動作を熟語で示した程度でその様子は殆どわからない。一方では堂童子の動きが注目される。堂童子が花筥をどのような経路を経てどのような順序で渡すかが最大の関心事だったようである。また火櫃を設置する様子など仏事とは本質的に関係無い動作が復元できることまた、半夜については詳しくないことからも貴族は仏事に関心が無かったといえる。
 同様にして動きを示した図面を掲げたい。赤が蔵人、青が僧侶、紫が公卿、黄が堂童子、黄緑が近衛である。
(図参照)

K僧侶退出

・僧侶退下
 僧侶が退出し法会が終了する。

L名対面

・名対面
 名対面で注目すべきところは『江家次第』の割註である。「侍臣等皆着座す、蔵人頭上に在り、頭若位階下﨟為りは、次第に到り名を称えよ」蔵人頭の位階が低いのにも拘わらず、上席にあった場合は位階を優先せよとしている。しかし、「往年非殿上の次将、殿上六位の後之を称うと云々」殿上に昇殿することを許されていない近衛の次将は、六位であっても昇殿が許されている者の後に名前を称えることになっており『江家次第』がかかれた平安後期には位階よりも昇殿を許されていることの方が重要なことであったことがわかる。位階よりも昇殿を許される。以上のような官職と昇殿についての研究は古瀬奈津子氏の著29)が詳しい。氏の説は御仏名の名対面の様子からも確かめられる。

N公卿退出

・王卿・侍臣・蔵人所・滝口各名を称えて退出
 参列者が退出し儀式が終了する。
(図参照)
 これで御仏名の一連の流れを説明したことになる。図面三枚を用いて解説してきたことが三日間同じようにして執り行われる。二日目には宴が執り行われ三日目にはこれらに行香・給禄が加わる。次に、宴と行香・給禄についても解説を試みたい。

F宴

・今夜栢梨を羞む
 とは甘糟の一種で説明に従うと摂津の庄名でその特産品であった。公卿が法用を終えたあとあらかじめ用意された殿上の宴会場に参入した。近衛の次将が勧杯し宴が始まる。

G被綿

・第三当願の間被綿
 法用のさなか僧侶に禄である綿がかずかれる。
・五位の蔵人六位の蔵人を率いて殿上の戸より出ずる
 「堂童子座の末の東並に孫廂の灯楼の東等を経て北行し内侍の簾下に就く、綿二筥を取り六位に持たしむ」蔵人の動きの復元を試みたい。「内侍の簾下」は内侍所の役人がいる簾の下の意であり『雲図抄』から位置を特定できる。
・導師の肩に被く
 「庇の北一間より登先ず礼盤の下に到り導師の肩に被く、次ぎに僧座の後ろに到り次第にこれを被く庇の北一間より登先ず礼盤の下に到り導師の肩に被く畢りて五位の蔵人公卿座の末を経て退出す」「六位の上﨟空筥を下﨟に授け弟子僧の座の前に到り又下﨟綿筥を取り次第に之を被く」ここではほぼ正確に蔵人の位置を特定できその動を読むことができる。
・畢りて共に退出、其の筥殿上の方より内侍所に渡す
・訓廻向畢り三礼
 給禄で重要なことは蔵人の動きである。図示すると次のようになる。
(図参照)

H行香

・先ず火舎取の蔵人を召す
・行香の蔵人奩を収め畢る間、頗る奩を鳴らす
 行香及び法用が終了したことを告げる合図である。
・公卿一々下﨟より起る、孫庇を経て着座
・行事公卿座の前並びに末を経て退出
(図参照)

I給禄

・次に三礼、次に禄を給う
 「五位の蔵人一人召し依りて孫廂を経て内侍の簾下に就き跪き居す」「公卿一々起座し簾下に跪く」などから先ほどと同じようにして動きを追うことができる。
・額間より給し畢り
(図参照)
 宴、被綿、給禄、行香について同じようにして読解を試みた。宴では栢梨などのふるまわれるものは、規定されているものの決められた作法等は特に無い。しかし、被綿、給禄、行香では物も決められておりさらに作法にも規定がある。御仏名の基本的な流れである打鐘、次第・参入、燈火、法会、名対面、退出と同じようにして宴、被綿、給禄、行香などの項目も儀式書には、その作法だけではなく細かい人の移動も大きく注意を払い記述しているといえる。

 後回しにした燈火についてここで読解を試みる。三有職書のうちこの動作と思われる記事が掲載されているものは『西宮記』と『江家次第』である。『西宮記』では「脂を指す事」として項目が見えるだけであるが『江家次第』では「燭を挑ぐ事」とあり「燭を挑ぐ事」以下によって詳しい様子を伺う事ができる。しかし、この「燭を挑ぐ事」が儀式のどこに挿入されるかが全く書かれていない。また「脂を指す事」と「燭を挑ぐ事」を同一視していいかという問題もある。儀式を執り行う前の段階で火をつける動作が行われるのが自然であり「脂を指す事」と「燭を挑ぐ事」は補足的に取り扱われていることを併せて考えてもこの二つを同一視してよいだろう。
 また、『雲図抄』に描かれている線はすべて灯籠を通過し、再び同じ灯籠を経由しないことから灯火の手順を図示した線であると考えられる。以上のことから『雲図抄』の線を元にして『江家次第』が描く「燭を挑ぐ事」を検討をする。
(図参照)
『江家次第』の「燭を挑ぐ事」
・蔵人二人、上﨟脂燭を持ち、下﨟脂瓶を持つ
・先ず廂南第一間の灯楼に挑げ
・次に御帳巽の角
・次に南壁の下東第一に始まり、御帳乾の角に至る
・更に還り竹灯楼を挑ぐ
・次に第五間の楼の東を経て、竹灯第を挑ぐ
・次に御帳の艮の角
・次に第五間の灯楼
・次に孫庇第四の灯楼
・次に第三仇の灯楼
 『江家次第』の当該部分を一ステップずつ追って行くと「蔵人二人、上﨟脂燭を持ち、下﨟脂瓶を持つ」とあり灯籠に火をつける役が準備される。「先ず廂南第一間の灯楼に挑げ」に続き「次に御帳巽の角」とあり『雲図抄』と同じであるが、「次に南壁の下東第一に始まり、御帳乾の角に至る」とあり『雲図抄』の図面通りに進まない。『雲図抄』の図面をもとにすれば「次に御帳の艮の角」を経たあとに御帳乾の角に至る必要がある。その後の動きは大筋『雲図抄』の図面に従っているが、孫庇の灯籠を通過するだけで点火は行っていないようである。これは公卿や僧侶が参入する時に灯火が全く無ければ参入時に支障を来すため孫廂の灯籠にはあらかじめ火が投じられていたと考えてよいのではないだろうか。
 灯火の手順は多少の変動はありながらも大筋では決まっており、参入後の灯火によって荘厳された室礼の様子が参入後に明らかになることにより、仏教儀礼が行われるための場の切り替えの役割を担っていると考えられる。つまり、燈火によって天皇の私的である清凉殿が非私的な儀式空間に変化することを意味する。

まとめ

 御仏名は三日間に亘り、過去・現在・未来それぞれ罪を懺悔し仏名を唱えることで滅罪をはかる仏教儀礼といえる。しかし、実際の儀式書を読み解くとこの説明は一見正しいようで大きな部分を見落としていることに気づく。御仏名という儀式は純粋な仏事のみで成立しているのではなく仏教以外の要素が加っているのである。現在の我々が考える暗いだけの法事のイメージはない。付加的な要素の最たるものが宴である。『北山抄』に至っては御仏名の儀式の様子を伝えているのにも拘わらず、純粋な仏教儀礼に関して全く様子を伝えていない。清凉殿に参入するまでの動作や儀式の後の宴と禄を貰うことや暖房器具の設置や酒肴の品に関心があった。今回の作業を通じて御仏名をまとめるならば「三日間に亘り過去・現在・未来それぞれ罪を懺悔し仏名を唱えることで滅罪をはかったのちに宴を開く宮中における年中行事の一つ」といえるのではないだろうか。
 御仏名の構造を模式的に図示すると左のようになる。
(図参照)

第三節 追儺

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