ざさいたま
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教育の罠

私の経験から

 小学校の時の記憶である。戦争についての授業だった。日本が戦争をしたこと、日本が負けたこと、誰でも習う日本の歴史である。その中の一コマが非常に忘れがたい。
恩師「戦前の日本人は正しい情報を教えられてなかった。」
私「僕らはどうなの?」
恩師「正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。」
 確かこんなやりとりをした。執拗にハッキリした解答を求めても、恩師は言い切らない。恩師は学校教師としては失格だ。「正しいことを教えている」と語るべきところを敢えてぼかしている。しかし、教師としては立派である。子供に考えることを促している。時効の為、記しても問題なかろう。三縄弘子という女性で驚くべき事に教頭・学校長をへて既に退職されている。学校管理職としては問題ある発言である。今思うといい授業を受けたと思う。
 小学生の私には正直わからなかった。子供の私としては言い切ってほしかった。中学・高校・大学を経てもわからない。しかし、ことあることにこのエピソードは思い出す。
 そしてようやくわかる。恩師は、正統だとされてる社会通念でも疑問が有れば疑いなさい。ということを伝えたかったに違いない。

日本人は驚くほど同じである

 南は沖縄、北は北海道そして中心に位置する埼玉或いは東京。日本人であればどこ出身者でも大体同じような考えを持っている。南だから、北だから、といって特別な地域色はない。同じ道徳的な価値観を共有している。勿論、方言や気候的な差はある。しかし、価値観は驚く程同じである。都会には多くの地方出身者があふれかえっている。そのような都会でさえ、日本人は同じような価値観を共有し共存している。
 こんなことは経験が無いだろうか。教室で、先生があることに対して皆の意見を聞いた。一人が発言すると皆が同じような意見を付き次と出す。出る意見は個人個人差異があるが、大筋では同じである。根本的に違う意見を出すとオミットされることはいうまでもない。
 上記の授業は討論を形式には演じているが、教師含め皆が思考停止状態に陥っている。期待される意見が既に決まっている。討論は一つの劇(儀式)であり、予め答えが決まっている。真摯に考え出された意見でも、期待された意見でなければオミットする。
 我々は外見だけでなく、思考形態まで似通っている。これらの現象は正直気味が悪い。

翻って

 日本は教育が行き届いた国だ。そう我々は教わる。確かに日本の教育は行き届いている。これは疑いようもない。同じような価値観、倫理観、人生観は日本に元々偏在するものではない。この行き届いた教育によって形成されている。その偏在する教育によって、地域に関係なく同じ価値観を共有させられている。
 それでいて、我々は「北朝鮮」や「中国」の所謂社会主義圏の教育を批判する。北朝鮮のマスゲーム、中国の中華思想には我々は過剰反応する。「気色悪い、日本に生まれて幸せだった。」と。それらの教育は我々の受けている教育より酷いものかもしれない。しかし、彼らにいわせて貰えば同じことではないだろうか。日本でも運動会のマスゲーム、根拠もなく日本の文化水準は高いと信じ切っている。日本も殆ど変わらない。お互いが仮想敵になっていて、自からの民族に対して誇りを持つように導く。これが国家が行う教育である。
 それにしても日本が行っている教育はこの仮想敵を巧妙に隠蔽し、自分たちが正しく判断し、正しく行動しているという錯覚、一種のファンタジーを提供し、思想的に誘導されていることに全く気づくことがないように仕組まれている。先ほどの恩師の言葉が無かったなら、気づかなかったかも知れないし、気づくのに時間がかかったのは想像に難くない。

日本は自由主義である

 我々が受けている教育は巧妙に隠されたイデオローグがしっかり機能している。誘導して、社会に適合する思考形態を作り上げるようになっている。真実を教わったと思っていても、真実は一向に教わることもない。丁度成人するぐらいには、同じような考え方を持つ日本人として仕立て上げられている。
 それでも、日本は自由主義である。私がこのように好き放題発言できるのも、自由主義の賜である。特別高等警察やら秘密警察に怯えもせずに国家的な教育を批判できる。思想を誘導されることはあっても、強要されることは殆どない。自由主義は騙されるのも自由であるし、真実をつかみ取るのも自由だ。
(小宮和寛)
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