ざさいたま
アバウト ギャラリー コンピュータ その他 リンク集

どこでもタブレット

ネットブックは過去のモノ

 ちょっと前に小型パソコンが流行った。価格が安く、軽量で、携帯電話端末を内蔵でき、何処でもインターネットが利用できる代物である。この小型パソコンはネットブックと呼ばれ、爆発的に売れた。価格の安さということもあったが、一般的なノートパソコンにしては重量も軽く、気軽に持ち運べて、何時でもネットサーフィンがしたいというユーザにはちょうどいい製品であった。
 最近はネットブックはそれ程売れていない。代わりにタブレット1)と呼ばれるモノが売れている。具体的な製品名を挙げるならば、AppleのiPadやGoogleが開発したAndroidが有名であろう。これはネットブックの進化形である。もうネットブックは過去のモノになったといわんばかりに見かけも機能もスマートになっている。スマートフォン2)とも呼ばれることもあるが、どちらの場合もどこでもインターネットが出来るデバイスであるということは変わりない。このタブレットやスマートフォンについて考察してみたい。

どこでもインターネット

 それまで、どこでもインターネットが使える環境を整えるのには、それ相応の機材が必要であり、実際困難であった。携帯型パソコン、携帯電話、接続ケーブルなどを持ち歩く必要があった。費用的負担、肉体的負担を天秤にかけると通信速度も芳しくはなく「使えるもの」とは到底いえなかった。それが、完結したシステムであるネットブックの登場によって「使えるもの」になった。
 但し、ネットブックはOSを起動させ、物理的に画面を開く必要があった。タブレットはそのような障壁はない。ユーザは鞄からタブレットを取り出して、ボタンを軽く押すだけでよい。簡単にインターネットに繋がるのだ。キーボードも画面に内蔵されているため、ネットブックのように腰の上に開くことをしなくてもよい。何時でも何処でも、インターネットが出来る環境が手に入るのである。

ネットが引き寄せる

 ところで、ネットに常時接続していることは必要なのだろうか。私は、疑問に思う。ネットブックやタブレットの登場によって、ネットとの距離は非常に近くなった。しかし、ネットと私たちが常時繋がる必要性は無い筈だ。たしかにコミュニケーションの手段や形態の多様性は増した。しかし、顔が見えないコミュニケーション3)になることが多いため、意思の伝達の観点からすると十分なものでないように思われる。また、情報自体が増えるため、これまで以上にノイズと信号を嗅ぎ分ける必要が生じる。この観点からしても好ましくはない。ネットの登場以前のコミュニケーションの質はネット登場後と比較しても、劣っていたとは言い難い。いままでネットがなくても十分にコミュニケーションが取れていたではないか。
 タブレットの登場はユーザの必要性から生まれたものでは無い気がする。機器の必要性からというよりも、ネットそれ自体が機器を造り出したといってもいいすぎではないのでなかろうか。我々がネットを求めるのではなく、ネットが我々をたぐり寄せるともいえないだろうか。ネットの仕組み自体が私たちを引き寄せ、なくてはならないものにしてしまう。ネット自身が意志を持っているように。
 と考えると、タブレットの登場は手放しでは喜べそうではない。このデバイスは完成度が高く、私たちを夢中にしてしまうことは想像に難くない。タブレットは便利なデバイスでもあると、同時に取り扱い方には十分に注意しなくてはならない。そうしないと、タブレットを媒介としたインターネットの魔力により、多くの時間を奪われてしまうからだ。賢明な読者は本当に必要なのか導入前に考えて頂きたい。
(小宮和寛)

注:
 1)携帯電話のパケット通信を利用したインターネット専用の小型パソコン。板状である。
 2)タブレットに近いが、電話としての機能がついているものを特別にいう。
 3)勿論、Skype等のテレビ電話によるコミュニケーションも出来る。しかし、インターネットは一般的に顔が見えないテキストベースのコミュニケーションとなる。
  戻る
saitama web-framework (c) 2007-2012 thesaitama. All Rights Reserved.