ざさいたま
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資格に死角あり

資格を取れとかいわれるが

 私も要請により資格を取得したことがある。しかし、資格の取得により私自身が向上したとは思わない。資格により何か向上したと見る向きもある。それは本質的なものではない。産業界が盛んに喧伝しているようにメリットは確かにあるかもしれない。資格のメリットについては目新しく無いため敢えてここでは取り上げない。資格に興味があるのなら「専門学校」なるものに通って「訓練」をうけて取得すればよい。ここでは資格の見落とされがちなデメリットを考えてみたい。資格に死角あり。

視野を狭くする

 資格を取得するには、それなりの努力が必要になる。ものごとを思索するとかではなく、反復により慣れさせるための訓練が必要になる。「訓練」により、新しい技能や知識を獲得することになる。習得された新しい技能や知識は、視野を広めることに役立つのであろうか。私は疑問を投げかけたい。
 資格は特定の物事に対して、技能・知識なりを認定する。この認定は法律的な強制力を持つものや、そこまではいかなくても組織的な圧力を伴う。資格には「特定の」という限定が組み込まれており、同時に「技能・知識」は産業的な価値が前提に立っている。産業上の限定された領域におけるものの見方をすることになる。つまり、資格を取りたいという時点であなたの視野は狭くなっているといわざるを得ない。
 世の中には「学者」の資格というものはない。学者は常に新しい領域に足を入れるため広い視点、ときには既存の価値観を捨て去らなくてならない。常に柔軟な姿勢が求められる。学者だけではない。「政治家」の資格というものはない。このように挙げればきりがない。真に価値がある行為に対しては資格は不要なのである。したがって、資格の取得は組織的な圧力による限定的な見方を肯定したともいえる。

うまくおつきあい

 かといって、資格を完全に拒否することは出来ない。上手におつきあいしないと日上の生活に支障をきたす。生活者は、社会的な圧力により資格を取得することが強要されるからだ。車に乗るのも「運転免許」1)という資格が必要だ。車を利用しないと生活できない人は、これを取得しないと生活が法律的に立ちゆかなくなる。同時にこの資格制度は無謀な運転者を抑止する社会的なストッパーという極めて重要な役割を果たしている。
 資格と上手におつきあいし、資格に拘らない広い視野を常に持つように意識すべきである。
(小宮和寛)

注:
 1)車が溢れる現代、免許を制度化しなければ交通事故は増え続けることが予想される。
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